仙台地方裁判所 昭和39年(ワ)755号 判決 1968年4月22日
原告
島貫松夫
ほか三名
被告
岩沼町
ほか一名
主文
被告らは、各自、原告島貫松夫、同島貫京子、および同島貫和子に対しそれぞれ金二〇万〇、〇〇〇円、原告島貫竹松に対し金三五五万四、六一三円ならびに右各金員に対する昭和三九年四月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを七分し、その五を被告らの連帯負担とし、その余を原告島貫竹松の各負担とする。
この判決は、一項に限り仮に執行することができる。但し被告らはいずれも原告島貫竹松のために金一〇〇万〇、〇〇〇円同島貫松夫同島貫京子同島貫和子の各人のためにそれぞれ金三万〇、〇〇〇円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
原告ら訴訟代理人は「被告らは、連帯して、原告島貫松夫、同島貫京子、および同島貫和子に対し、それぞれ金五〇万円、原告島貫竹松に対し金七一五万九、二九六円ならびに右各金員に対する昭和三九年四月七日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
「一、原告は、昭和三九年四月七日午後一〇時ころ、宮城県名取郡岩沼町の町道中横丁線を第二種原動機付自転車を運転して、同町稲荷崎より同町北長谷に向つて進行し、たまたま被告岩沼町が管理し同町道改修工事として請負業者被告株式会社大友工務店に行なわせていた武隈一号橋の架換工事現場にさしかかつた際、同工事が未完で脱橋しているのに気づかず、そのまま右脱橋個所に突込み、下を流れる用水堀(幅約二・一五メートル、深さ約一メートル)に転落し、頸髄損傷の傷害を負つた。
二、前記工事現場は岩沼町北長谷および同町三色吉方面からの通勤者や車両などの交通量が多く、しかも付近一帯は田圃であつてこれを照明する光源がなかつたから夜間は月夜でもないと真暗であり、したがつて、本件道路の管理者である被告町は道路法四六条一項により交通の危険を防止するため区間を定めて右道路の通行を禁止するのみならず、同法四八条一項により右禁止の対象、区間、期間および理由を明瞭に記載した道路標識を設けるほか、夜間は右工事現場に前記のような工事が行なわれていることを示すランプその他の標識を設けるなどして一般の通行者に交通の危険の生ずるのを未然に防止し、もつて町道の管理に万全を尽すべきであつたのであり、本件架換工事の請負人である被告会社も夜間は前同様の処置をとるべき業務上の注意義務があつたのにかかわらず、被告らはこれを怠り、わずかに被告町が右現場から東方約三〇〇メートル離れた人家の並んでいる道路の左端に白ペンキを塗つた縦約九〇センチメートル、横約一二〇センチメートルの四角な板に黒色ペンキで「工事中通行止」と書いた立札を立てておいたにすぎなかつたため、原告竹松は前記事故現場が架換工事中であり通行を禁止されているものであることに気づかず、前記用水堀に転落して前記の傷害を負つたのであるから同事故発生の原因は被告町においては、道路管理者として、被告会社は道路工事請負人として右のとおりそれぞれとるべき危険防止の必要処置をとらなかつたことにあるというべきである。
三、(1) 原告竹松は昭和二二年三月二二日以降日本国有鉄道の線路工手として勤務していたものであるが、本件事故当時満四三才の健康な男子であり、その余命はなお二八年余であつたから少なくとも満五五才に達するまで満一二年間は日本国有鉄道に勤務しえたはずであり、したがつて同原告は本件事故当時は日本国有鉄道賃金規程に定められている一般職員基本給表における三二号俸一カ月二万六、三〇〇円及びその他暫定手当、扶養手当(同原告には昭和二四年一二月九日生の長女と昭和二七年五月三〇日生の二女がある。)の給与を受けていたほか、年度内には賞与の支給も受けていたのであるから、満五五年に達して慣例により退職するまでの間には別表一記載の年収を取得しえたはずであり、また右退職時には国家公務員等退職手当法四条一項、三項、五条の二により少くとも二六四万九、六七二円の支給を受けえたはずである。
(2) しかしながら、原告竹松は前記傷害のため両上肢両下肢をはじめとする全身の麻痺により労働能力を完全に喪失し、かつ回復の見込がなくなつたため、昭和三九年四月八日から同年五月八日まで有給休暇をとり、同年五月九日から一一月四日まで前記賃金規程の定めるところにより、毎月基準内賃金(本俸、暫定手当および扶養手当の合算額)のみの支給を受け、同年一一月五日以降休職を命ぜられ、昭和四〇年一一月四日までの一年間は毎月基準内賃金(ただし休職期間中は昇給しない。)の一〇〇分の八〇を支給されたが、その後無給となり、昭和四二年三月に退職を余儀なくされ、前記退職手当法三条により退職手当として一〇六万三、一四〇円の支給を受けたほか、同年四月一日以降は公共企業体職員等共済組合法五〇条一項、二項により退職年金として二六万〇、六四〇円の支給を受けることになつた。
(3) したがつて、原告竹松は<1>昭和三九年においては、一一月および一二月の基準内賃金合計六万六、八〇〇円の一〇〇分の二〇に相当する一万三、三六〇円ならびに賞与六万三、三三二円合計七万六、六九二円、<2>昭和四〇年においては一月から一〇月までの基準内賃金合計三四万六、四〇〇円の一〇〇分の二〇に相当する六万九、二八〇円、一一月および一二月の基準内賃金合計七万〇、六〇〇円賞与一六万七、二七五円以上合計二九万七、一五五円、<3>昭和四一年においては別表一の年収欄記載の六〇万七、三六五円、<4>昭和四二年においては別表一の年収欄記載の六四万〇、〇八三円から四月以降一二月まで九ケ月分の年金合計一九万五、四八〇円を差し引いた四四万四、六〇三円、<5>昭和四三年から昭和五二年までは別表一の各年収欄記載の金額から前記年金額を差し引いてホフマン方式により中間利息を控除した別表二記載の各金額の現価合計三六七万五、七九三円、<6>昭和五二年三月三〇年余勤務の後に支給を受けるべき金額と実際に支給を受けた金額の差額にあたる一五八万六、五三二円に右同様の中間利息を控除した現価一〇五万七、六八八円の各得べかりし利益を失なつた。
四、原告竹松は妻が他の男と同棲したため昭和三九年三月やむをえず離婚し、男手一つで長男である原告松夫(事故当時満一六才)を頭に、長女である原告京子および二女である原告和子の三名を扶養してきたのであるが、本件事故により、入院加療の甲斐もなく、生ける屍となつたため、他人の扶けがなくては生活ができなくなり、現在は実母の看病を受けており、原告松夫は高等学校二年に在学中であつたが、本件事故のため、昭和三九年六月退学し上京のうえ就職することを余儀なくされ、原告竹松を除くその余の原告らは生母に棄てられたのみでなく、ひとり頼みとする父竹松が本件事故に遭い前途に光明を失なつたのみならず、生涯生ける屍と化した原告竹松を看護しなければならない羽目におちいつたのであるから、その物質的損害ははかり知れず、その精神的苦痛は筆舌に尽しがたいものがある。以上の事情を斟酌すると、慰藉料は、原告竹松については<7>一〇〇万円、その余の原告についてはいずれも<8>五〇万円をもつて相当とする。
五、よつて、被告らは連帯して、原告竹松に対しては前記<1>ないし<7>の合計金七一五万九、二九六円、その余の原告らに対しては前記<8>の各金五〇万〇、〇〇〇円および右各金員に対する本件不法行為の日である昭和三九年四月七日から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による各遅延損害金の支払を求めるため本訴に及んだ。」
と述べ、被告の主張に対し、
「被告主張の二(2)<1>の事実のうち原告ら居住区の区長が本件工事について原告らに周知徹底させる処置をとつたことは否認する。その余の事実は不知。同<2>の事実は認める。同<3>の事実のうち原告竹松が本件事故当時酒気を帯びていたことは認めるが、その余の事実は否認する三(1)<2>のうち平均消費額は認めるが、その余は否認する。」
と述べた。
被告ら訴訟代理人は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、
答弁および主張として、
「一、請求原因一の事実(事故発生に関する事実)は全部認める。もつとも用水堀の深さは約八〇センチメートルであつた。
二、(1) 同二の事実のうち本件工事現場は岩沼町北長谷方面からの通勤者が通行する状況にあつたこと、右現場付近一帯は田圃であり、かつ夜間はこれを照明する光源がなく月夜でないときは暗いこと、被告町が、道路法四六条一項四八条一項の道路管理義務があつたこと、被告らが本件工事現場に工事中であることを示すランプその他の標識を設けなかつたことおよび被告らがほぼ原告主張と同趣旨の立札を立てておいたこと(この点については後記のとおり。)は認めるが、その余の事実は否認する。すなわち被告らには、夜間は本件工事現場にランプその他工事中であることを示す標識を設ける義務はない。また、原告ら三色吉方面からの通勤者は本件現場を殆んど通行せず、車両も通勤者の車両が通行する程度である。
(2) <1> 被告町は、本件工事を施行するにあたつて、あらかじめ関係区長に工事の個所、および種類(橋梁架換工事であること)ならびに交通制限の種別、期間および区間などを明示してその区民に周知徹底方を依頼したので、右区長は掲示板、回覧板などにより右周知徹底をはかつた。
<2> また、被告町は被告会社に指示して本件工事着手前に前記中横丁線の稲荷崎一二六番地先と同線柴崎囲の左右の路端にそれぞれ道路法四八条一項所定の事項を記載した案内標識とスコツチライト付車両通行止の規制標識を中央にスコツチライト付拒馬を設置し更に北長谷畑新田にも「工事中につき諸車通行止」の規制標識を設置させ、何人も一見して町道中横丁線は車両通行止となつていることを知りうるようにして交通の危険防止の処置をした。そして、右稲荷崎一二六番地先に設置した規制標識および案内標識は、その十字路の西南角に立つている電柱に地上約三メートルのところに二〇ワツトの電灯がついていたから、暗夜といえどもこれを明認しうる状況にあつた。
<3> 原告竹松は本件事故当時焼酎を飲み酒気を帯びており、しかも稲荷崎に設置してあつた右標識等を認めて車両通行止となつていることを知りながら標識遵守義務に達反して前記拒馬を押し退けて通行禁止区間に進入したため自ら本件事故を惹き起したのである。
三、<1> 請求原因三の事実のうち、原告竹松の性別、年令、健康度勤務先、勤務年限、平均余命、勤務予想年限およびその子についての原告主張事実は認めるが、その余の事実は不知。
<2> 原告竹松がその主張にかかる収入を得るためには自ら消費支出は免れないのであるから、右収入から同原告自身の消費支出を差し引くのが当然であるところ、昭和三八年総理府統計局発表の家屋調査年報第二二表によると四人世帯の年平均一月の消費支出は三万九、六七八円であるから、この四分の一にあたる九、九一九円に一二を乗じた一一万九、〇二八円を同原告の各年収入から差し引いて得べかりし利益を算出しなければならない。
四、<1> 請求原因四の事実のうち原告竹松がその主張のころその妻と離婚したこと、同原告がその主張のようにその余の原告らを扶養してきたこと、本件事故後入院治療を受けたことおよび原告松夫が本件事故後高等学校二年で退学して上京のうえ就職したことは認めるが、その余の事実は不知。
<2> 竹松をのぞく原告らが原告竹松の本件受傷により同原告が死亡した場合以上または死亡した場合に比肩すべき程度もしくは死亡した場合に比較して著しく劣らない程度の精神上の苦痛を受けたとしても五〇万円の慰藉料は著しく高額であつて不当である。」
と述べた。
〔証拠関係略〕
理由
一、本件事故発生に関する請求原因一の事実は全部(ただし、本件用水堀の深さについては約八〇センチメートルの限度において)当事者間に争いがない。
二、事故発生原因に関する同二の原告らの主張についてみるに、本件工事現場を岩沼町北長谷から同町中心部へ向う通勤者(車両による通勤者を含む。)が通行すること、右現場付近一帯は田圃であつてこれを照明する光源がなく夜間は月夜でもないと暗いことについては当事者間に争いがないので、同事実と本件事故当時右現場は橋梁架換工事中で脱橋していたという前記一の事実とを考慮にいれると、当時被告町は本件道路の管理者として本来の道路に異状があることにより起ることの考えられる事故発生を未然に防止するため原告ら主張のような道路標識を設ける義務より具体的には、工事中である区間およびその手前五〇メートルから一〇メートルまでの地点における左側の路端に「工事中」であることを示す警戒標識および通行禁止区間の前面における中央または左側の路端に「車両通行止」であることを示す規制標識ならびに右各標識につき法定の補助標識を設ける義務(「道路標識、区間線及び道路標示に関する命令」(昭和三五年一二月一七日総理府令、建設省令))を被告会社も本件工事の請負人として右同様の義務をそれぞれ負つていたことはもとより、被告町および道路工事請負人である被告会社は、夜間は右のような工事がなされていることを自動車等の運者が容易に認めうるような赤色灯などの灯火および防護柵をその現場に設ける義務があつた(道路法施行令一五条五号参照)ところ、証人木村礼一の証言によると被告らが本件工事現場に右の灯火、防護柵の設備を設けなかつたことが明らかであり、証人長田正治、同猪股績、同尾形正、同木村礼一の各証言および右尾形、木村の証言により昭和三九年四月七日午前八時四〇分ころ撮影した写真であることが認められる乙四号証の四ならびに検証の結果を総合すると、わずかに、被告らは本件現場の東方約三〇〇メートル稲荷崎一二六番地先交叉点南西部の右現場へ向う本件道路の左側の路端に右現場が横の架換工事中であることを示す縦、横ともに九〇センチメートルの立札を、右端に縦、横ともに八〇センチメートル高さ一二四センチメートルの「車両通行止」の標識をそれぞれ設けたことおよび右の立札の左側約四〇センチメートル離れたところに電柱があり、地上三メートル九〇センチメートルのところに自動点滅器付の二〇ワツトの街灯があり、本件事故当時点灯していたことを認めることができる(右認定に反する証人佐藤サノの証言および原告竹松本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。)のみであつて、右の各証言(ただし尾形正の証言を除く。)に証人千葉宗悟、同横山一雄の各証言および検証の結果を考え併せると、被告主張の拒馬は、原告竹松が右標識設置箇所を通過した際は、少なくとも道路中央にはなく、その存在に容易に気づかない程度に左右いずれかにずれており、したがつて原告ら運転の車両等は自由に通過できる状況にあつたことを認めることができる。(証人尾形正、同峯岸芳造の各証言は右認定を妨げず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。)。
そうすると、本件事故は右灯火等の設備を怠つた被告町の町道管理上のかしおよび道路工事請負人である被告会社の道路工事上の業務上の過失にもとづくものといわなければならない被告町は原告らの被つた損害につき国家賠償法二条にもとづく賠償責任を免れえない。
被告らは、本件事故は、原告竹松が酩酊のうえ車両を運転し拒馬を押し退けて進行したことによるものであるから、原告竹松の自損行為であるというが、後記認定のとおり、同原告は当時酒に酔つていたものの酩酊していたとの確証はないし、右認定の本件現場状況からするときは拒馬を押し退けて進んだ事実も認めることができない。かえつて被告らが前記の注意義務にしたがい、本件事故現場付近に赤色灯などを点灯していたら後記のとおり酒に酔つて注意力の低下していた原告竹松といえども、酩酊まではしていなかつたのであるから、右灯火によりいち早く工事中であることに気づき適当な処置をとつたであろうことは推認するのに困難でなく、したがつて被告らの右主張は採用できず、また原告竹松が本件現場が工事中であることを承知していたことを認めるに足りる証拠もない。
しかしながら〔証拠略〕を総合すると、原告竹松は本件事故当時酒(少なくとも焼酎コツプ二杯以上を飲んでおり酩酊とまではいえないとしても相当に酔つていたため、前記稲荷崎の交叉点に前記認定のような標識が設置されていたことに気づかずに同所を通過し更に、〔証拠略〕によると、当時、本件現場の路上には注意すれば道路工事の現場であることに気づくような土砂が盛上げられていたことが認められるが、原告竹松は右事実にも気づくのが遅れて脱橋箇所に突込んだことを推認することができるから、本件事故の発生については原告竹松にも道路標識遵守義務違反および前方注視を尽さなかつた過失を認めるのが相当である。
(三)、(1) 請求原因三の事実のうち、原告竹松の性別、年令、健康度、勤務先、勤務年限、同年令の者の平均余命および勤務予想年限についての原告ら主張事実についてはすべて当事者間に争いがない。
〔証拠略〕によると、原告竹松は本件事故により労働能力を完全に喪失し、かつ回復の見込がないことが認められ、右事実と〔証拠略〕を総合すると、原告竹松は本件事故により、国鉄から昭和三九年四月八日から同年五月八日まで年次有給休暇をとり、同月九日から同年一一月四日までは病気欠勤の取扱いを受け、同期間中は従来の基準内賃金及び賞与寒冷地手当など全額の支給を受けたものの、右昭和三九年一一月五日から翌四〇年一一月四日までは有給休職となり、同月五日から昭和四二年三月末日まで無給休職となつて同末日付をもつて退職となつたため、右昭和三九年一一月五日から昭和四〇年一一月四日までの有給休職期間中は、基準内賃金賞与などの一〇分の八の支給を受けたにとどまる。そして右昭和三九年一一月五日以降本件事故以前と同様の状態で勤務を継続していれば当然昇給するであろう定期昇給率をも加算して右受給できなかつた一〇分の二並びに無給休職となつた以降慣例で退職する予定となつている昭和五二年三月末までの受給予定基準内賃金及び賞与などを年別にみると、<1>昭和三九年一一月五日から同年一二月三一日までは金三万七、六五〇円、<2>昭和四〇年には金二一万五、三八二円、<3>昭和四一年には金六四万四、五六〇円、<4>昭和四二年には金六七万六、六四五円、<5>昭和四三年には金七一万〇、五七六円、<6>昭和四四年には金七三万六、七六四円、<7>昭和四五年には金七六万三、二九二円、<8>昭和四六年には金七八万九、八二〇円、<9>昭和四七年には金八一万五、〇三〇円、<10>昭和四八年には金八三万八、五八二円、<11>昭和四九年には金八五万九、一五八円、<12>昭和五〇年には金八七万七、七三六円、<13>昭和五一年には金八九万二、〇二〇円、<14>昭和五二年一月から退職予定の同年三月までは金一八万五、三〇〇円また右退職の場合にその時期において支給されるべき退職手当金は<15>金二六四万九、六七二円であること、しかしながら、原告は、昭和四二年三月末日をもつての現実退職により昭和四二年分については四月から一二月までの八カ月分として金一九万五、四八〇円、昭和四三年から昭和五一年までは毎年金二六万〇、六四〇円、昭和五二年分については一月から本来退職予定となつている三月まで金六万五、一六〇円の年金をそれぞれ受給できることになつていることを認めることができ、他にこれに反する証拠はない。
したがつて原告の本件事故によつて喪失した得べかりし利益は、右各年度における受給予定賃金及び賞与などから当該年度における受給年金を差し引いた残金、即ち、右<1>、<2>、<3>については、同金額がそのまま損失金となるが、<4>については、金四八万一、一六五円、<5>については金四四万九、九三六円、<6>については金四七万六、一二四円、<7>については金五〇万二、六五二円、<8>については金五二万九、一八〇円、<9>については金五五万四、三九〇円、<10>については金五七万七、九四二円、<11>については金五九万八、五一八円、<12>については金六一万七、〇九六円、<13>については金六三万一、三八〇円、<14>については金一二万〇、一四〇円とするが、右<5>以下については本来ならば本件口頭弁論終結後において当該年度に受給されるべきものであるから、これをホフマン式計算方法(名義額をA年数をnとした場合<省略>)にしたがい民法所定年五分の割合による中間利息を控除して算出すること、<5>については金四二万八、五一〇円、<6>については金四三万二、八四〇円、<7>については金四三万七、〇八九円、<8>については金四四万〇、九八三円、<9>については金四四万三、五一二円、<10>については金四四万四、五七一円、<11>については金四四万三、三四七円、<12>については金四四万〇、七八三円、<13>については金四三万五、四三四円、<14>については金八万〇、〇九三円、<15>については金一七六万六、四四八円となる。しかし<15>の退職金については既に金一〇六万三、一四〇円の支給を受けていることが明らかであるから(これに反する証拠はない)、右金一七六万六、四四八円から右既受給退職金を差引くとその損失金は金七〇万三、三〇八円以上合計金六一〇万九、二二七円となるというべきである。
なお、被告は得べかりし利益の算定にあたつては消費支出を差し引かなければならないと主張するが、本件は死亡のばあいでなく傷害のばあいであるから、原告竹松は将来においても生活費等を支出しなければならず、したがつて右の被告の主張はそれ自体理由がないこと明らかである。
(2) 原告竹松が昭和三九年三月妻と離婚して以来、男手で本件事故当時満一六才になる原告松夫を頭に三人の子女が養育にあたつてきたこと、本件事故後入院治療を受けたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕を総合すると、原告竹松は右事故以来現在まで寝たきりの状態であり、頸髄損傷にもとづく上、下肢の麻痺により手足の自由がきかず用便もひとりでできない有様であつて、現在は同原告の母親や弟の看護を受けていることまた労働能力を完全に喪失しかつ回復の見込がないことは前記認定のとおりであり、これを要するに三人の子女を養育すべき身が廃人同様となつたため、かえつて殆んど身の廻り一切の世話を身内の者に頼まなければならなくなつたことが認められ、また原告松夫は本件事故当時高等学校二年に在学中であつたが、事故後退学して上京のうえ就職したことは当事者間に争いがないところ、右事実と弁論の全趣旨によると、これは本件事故により余議なくされたものであることを推認することができ、以上認定の事実によると、原告松夫、同京子および同和子は頼みの綱の父親が本件事故により廃人同様の身となつたのであるから、同原告らが受けた精神的打撃は察するに余りあり、前途に光明を失なつたことは想像に難くなく、原告竹松の母親らがなんらかの理由で同原告を看護できなくなつたばあいには生涯同原告を看護しなければならない立場に立たされることもまた十分に予想されるところである。
原告松夫、同京子および同和子の精神的苦痛においても原告竹松が死亡したばあいと比較して決して劣らないといわなければならない。
右認定の原告竹松の症状、受傷の身体的、精神的影響、原告らの家庭の状況さきに認定した本件事故の原因その他本件に現われた諸般の事情を考慮にいれると、慰藉料は、原告竹松においては金一〇〇万〇、〇〇〇円、同松夫、同京子、同和子はいずれにおいても各金四〇万〇、〇〇〇円を相当とする。
(3) ところで本件事故の発生については原告竹松の過失も競合していることは前記認定のとおりである。したがつて原告らの被つた損害に対する被告らの賠償すべき金額を定めるにあたつては、右事情を斟酌すべきであり、そうだとすると、右賠償額は前記認定の各原告の損害額よりいずれもその二分の一に当たる金額を差し引いた金額と定めるを相当とする。
四、よつて原告らの被告らに対する本件損害賠償請求は、原告竹松においては、その合計金三五五万四、六一三円、原告松夫、同京子、同和子においてはいずれも各二〇万〇、〇〇〇円及び本件不法行為日である昭和三九年四月七日から右各金員完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを正当として認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言同免脱の宣言については同法一九六条一項三項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 三浦克己 藤枝忠了 森谷滋)
(別表)
第一計算書
<省略>
第二計算書
<省略>